● 薩摩藩 ●
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西郷隆盛


巨眼(うどめ)さぁ往く 西郷さんを語る 歴史に学ぶリーダーシップ

長州藩の木戸孝允(桂小五郎)、薩摩藩の大久保利通と並び「維新の三傑」と称される。位階は正三位。功により、子の寅太郎に侯爵を賜る。 「西郷さん、わたしはあの日(江戸城開城の会見をしたとき)から、あんたがこうなるのはわかっていましたよ。あんたは人に好かれすぎましたね。もうちょっと、わたしは生きます。亡国免罪の臣、勝海舟として、ね。憎まれっ子は長生きするものです。」  西郷隆盛が西南の役に敗れ、非業の死を遂げるに際しての海舟の言葉である。今日的にみても興味深い評である。 貧しい下級武士の出で、赤貧洗うが如くの家庭に育ったという。藩主斉彬に見出され、才能を伸ばしていった。斉彬亡き後、久光の怒りに触れ、五年の歳月、徳之島へと島流し。歳月はまた隆盛を戌辰戦争へ、江戸城開城の舞台へと登場させた。そして最後は、討幕の盟友であり、竹馬の友だった大久保利通との意見の相違から、暗転と変わり、西南の役へと転ずる人生ドラマ。まさに波乱万丈の生涯といわねばなるまい。
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大久保利通


内務省 大久保利通 図説西郷隆盛と大久保利通新装版

薩摩藩の下級武士の家に生まれる。 西郷隆盛とは幼なじみで,協力して,藩を倒幕運動へとみちびく。その後,坂本竜馬の助けをうけて薩長同盟を成立させ,将軍・徳川慶喜に大政奉還(たいせいほうかん)を決意させた 大政奉還の後は,岩倉具視らと王政復古の大号令を発布させ,明治維新のために大きなはたらきをした。 明治新政府をつくると,版籍奉還・廃藩置県を行い,欧米をおとずれ,政治・産業・文化の近代化を進めます。そのためには国のお金を増やす必要があると考え,地租改正も行った。 このように,利通は頭がよく冷静で,実行力をもち,仲間や友人よりも,国づくりのほうが大切だと考えていた。そのため,天皇が政治を動かすことへの不満や,西洋にならうことへの反対を受けるようになり,最後は,西郷隆盛を自殺に追い込んだことへのうらみを持つ士族によって,殺される。
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島津斉彬
薩摩藩11代藩主(在任:嘉永4年(1851年) - 安政5年(1858年))。島津氏28代当主。父は島津斉興で長男、母は池田治道の娘の周子。正室は徳川斉敦の娘。官位は従四位上左近衛権中将薩摩守 幕政にも積極的に口を挟み、老中・阿部正弘に幕政改革(安政の幕政改革)を訴えた。特に斉彬はアメリカのマシュー・ペリー艦隊以来の難局を打開するには公武合体・武備開国をおいてほかにないと主張した。
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島津久光
幕末の薩摩藩における事実上の最高権力者。幕末の四賢侯の一人。島津氏27代当主島津斉興の第5子。生母は斉興の側室由羅。 また兄斉彬と同様非常に学問好きであった。ただ、蘭学を好んでいた兄と異なり彼は国学に通じていた。 安政5年(1858年)に斉彬が死去すると、遺言により忠教の実子茂久(後の忠義)が藩主に就任する。茂久の後見を務めた斉興が安政6年(1859年)に没すると、藩主の実父として忠教の藩内における政治的影響力が増大。久光と改名し文久元年(1861年)宗家へ復帰、「国父」「副城公」と称されることになり、藩政の実権を掌握する 維新後も薩摩藩(鹿児島藩)における権力を握り続けたが、明治4年(1871年)に西郷、大久保らの主導で太政官より廃藩置県が布告されると、これに激怒。抗議の意を込めて錦江湾に連夜多くの花火を打ち上げさせたという。明治6年(1873年)、明治政府に出仕して左大臣となる。征韓論で朝鮮出兵を唱えるが、鹿児島で隠居生活を送る。 西郷らが蜂起した西南戦争では中立の立場をとっている。明治20年(1887年)に死去、享年70。
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黒田清隆
戊辰戦争で活躍した薩摩藩士。また第二代内閣総理大臣。 1862年生麦事件で現場にいたが、切りつけようとしたものを止めようとした。薩長同盟のために奔走し、戊辰戦争では函館戦争において参謀として指揮をとり活躍した。  1870年からは開拓次官、開拓長官として北海道開拓の指揮をとり、平行して東京でも、日朝修好条規の締結につとめた。1877年の西南戦争では熊本城で活躍した。  大久保利通が暗殺されると、薩摩閥の重鎮となるが、北海道開拓使の廃止直前に開拓使官有物払下げ事件で厳しい批判を浴びることになる。  明治21年には第2代内閣総理大臣になり、在任中には大日本帝国憲法の発布もあった。その後は元老となり、さらに逓信大臣、枢密院議長などを歴任した。
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西郷従道
江戸時代後期から明治の軍人、政治家である。父は西郷吉兵衛、母は政子。兄弟に兄の西郷隆盛ほか。竜助。通称は信吾。本名は隆興、隆道。 薩摩藩鹿児島城下加治屋町に生まれる。有村俊斎の推薦で薩摩藩主島津斉彬に出仕し、茶坊主となる。後に還俗し、斉彬を信奉する精忠組に加わる。薩英戦争にも参加。戊辰戦争においても鳥羽伏見の戦いなどに従軍する。1869年(明治2年)には山県有朋と共に渡欧し、軍制を調査した。1874年(明治7)には陸軍中将となり、同年の台湾出兵の際には番地事務都督として軍勢を指揮する。 1873年には兄の隆盛が朝鮮出兵を巡る征韓論により下野し、薩摩藩出身者の多くも従うが、従道は政府に留まる。隆盛が1877年の西南戦争で敗れて死去すると、薩摩閥の重鎮となる。1884年の華族令制定に伴い、維新時の偉功によって伯爵を授けられる。伊藤博文内閣の海軍大臣、内務大臣などを歴任。1892年には元老として枢密顧問官に任じられる。また同年、国民協会を設立する。1894年に海軍大将となり、1895年には侯爵に陞爵。1898年に海軍軍人として初めて元帥の称号を受ける。
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田中新兵衛
幕末四大人斬りの一人。 文久3年5月 何者かにより新兵衛の愛刀奥和泉守忠重が盗まれ、姉小路公知の暗殺現場にその刀が残される。 5月26日、新兵衛は捕縛され、自刃。調べに対し、暗殺については否定したが、刀については自分のものと認めた。 ついで脇差で腹ないし胸を突き、喉をかき切ったとされる。
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桐野利秋
初め中村半次郎と称し、明治になってからは本姓にもどって桐野利秋と称した。「人斬り半次郎」として有名であるが、実際に明らかとなっている暗殺は後述の1件だけである。坂本龍馬が暗殺された際には、犯人捜しや海援隊・陸援隊との連絡等に奔走した。西郷と勝海舟との会談も護衛し、上野の彰義隊との戦いに参戦した。この戦いののち、湯屋からの帰りに神田三河町で刺客に襲われ、1人を斬り撃退したが、左手中指と薬指を失った。
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村田新八
天保7年(1836)11月3日、鹿児島高見馬場で高橋八郎の第三子として生まれ、幼にして村田十蔵(経典)の養子となった。初めの名は経麿、のち経満(つねみつ)に改む。通称を新八という。三男一女あり、長男の岩熊と次男の二蔵はともに西南戦争に従軍して戦死した。
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別府晋介
弘化4年、鹿児島吉野実方で別府十郎の第二子として生まれる。名は景長、通称を晋介という。長兄は別府九郎。従兄の桐野利秋(中村半次郎)とは実の兄弟以上に仲が良かった。西南戦争では銃弾で負傷した西郷が切腹を覚悟すると、晋介は駕籠から下り、「御免なったもんし(お許しください)」と叫び、西郷を介錯した。その後、弾雨の中で自決した。享年31。
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